一年たった
あれから一年。
時報にあわせ、私も黙祷をした。
きょうのテレビは、震災のことばかり。
一番いい番組を放送していたのは、テレビ朝日だ。
米軍提供の記録フィルムを使って、「トモダチ作戦」のこと、大活躍をしたツイッターのことをやってくれた。震災バラエティではなく、落ち着いた目線で、すでに陳腐化しつつある「絆」なることばも一切使わなかった。
一年前、多くの国々から援助の手が差し伸べられた。莫大な義捐金を送ってくれた台湾、バカでかい空虚重量28.2トンのヘリコプターを派遣してくれたロシア。 なかでも、アメリカの援助は大きかった。
海兵隊は、壊滅的なダメージをうけた大島に入り、まず犠牲者に黙祷を捧げてから作業にはいった。ニュースで断片的には、彼らの様子はみていたけれども、ひとつひとつお皿や写真を仕分けしてゆく姿に、あらためて敬意を感じた。
そして、ツイッター。
火の海になった気仙沼で孤立していた子どもたちと園長先生。園長先生は、息子に「もうダメかもしれない」とメールを送る。ロンドンにいた息子が、ツイッターに救出依頼を投稿。ツイッターは広がり、東京都の猪瀬副知事に届き、無事、全員救出されたという。
あのとき、携帯電話はなかなかつながらなかったけれども、インターネットはいきていて、ツイッターも大丈夫だった。デマも多かったが、情報伝達に力を発揮した。
デマ防止のため、公式リツイートをしろ!というツイートが出回ったことを思い出す。間違いがあっても「RT」をつかわない公式リツイートは、元のツイートを削除すればいいからだ。
安否確認のツイートは、ソフトバンクの孫氏や元ライブドアの堀江氏が、積極的にリツイートしていた。フォロワーが多いと、それだけ見る人が多く、またそれを見た人がリツイートする。私も、リツイートした。
また、被災地に親族がいる人が飛行機情報を求めていたので、どこのどなたか知らないけれども、臨時便の情報をツイートしたら、えらく感謝されたこともあった。
まだ被災地は、復興途中。
私にできることは小さいけれども、少しずつでも寄付しようと思っている。
時報にあわせ、私も黙祷をした。
きょうのテレビは、震災のことばかり。
一番いい番組を放送していたのは、テレビ朝日だ。
米軍提供の記録フィルムを使って、「トモダチ作戦」のこと、大活躍をしたツイッターのことをやってくれた。震災バラエティではなく、落ち着いた目線で、すでに陳腐化しつつある「絆」なることばも一切使わなかった。
一年前、多くの国々から援助の手が差し伸べられた。莫大な義捐金を送ってくれた台湾、バカでかい空虚重量28.2トンのヘリコプターを派遣してくれたロシア。 なかでも、アメリカの援助は大きかった。
海兵隊は、壊滅的なダメージをうけた大島に入り、まず犠牲者に黙祷を捧げてから作業にはいった。ニュースで断片的には、彼らの様子はみていたけれども、ひとつひとつお皿や写真を仕分けしてゆく姿に、あらためて敬意を感じた。
そして、ツイッター。
火の海になった気仙沼で孤立していた子どもたちと園長先生。園長先生は、息子に「もうダメかもしれない」とメールを送る。ロンドンにいた息子が、ツイッターに救出依頼を投稿。ツイッターは広がり、東京都の猪瀬副知事に届き、無事、全員救出されたという。
あのとき、携帯電話はなかなかつながらなかったけれども、インターネットはいきていて、ツイッターも大丈夫だった。デマも多かったが、情報伝達に力を発揮した。
デマ防止のため、公式リツイートをしろ!というツイートが出回ったことを思い出す。間違いがあっても「RT」をつかわない公式リツイートは、元のツイートを削除すればいいからだ。
安否確認のツイートは、ソフトバンクの孫氏や元ライブドアの堀江氏が、積極的にリツイートしていた。フォロワーが多いと、それだけ見る人が多く、またそれを見た人がリツイートする。私も、リツイートした。
また、被災地に親族がいる人が飛行機情報を求めていたので、どこのどなたか知らないけれども、臨時便の情報をツイートしたら、えらく感謝されたこともあった。
まだ被災地は、復興途中。
私にできることは小さいけれども、少しずつでも寄付しようと思っている。
三寒四温
今週は、雪だったり、ぽかぽか陽気だったり、めまぐるしく天気が変わった。
三寒四温は、もともと冬の季節に使われることばだったが、春先に使われるようになったとか。なぜか、JALのホームページにそんな説明がある。JALには、古典に詳しい人がいるのだろう。
さて、私の住まいの近くには小学校があり、毎朝、小学生の皆さんとすれ違いながら、最寄りの駅に向かっている。雪の翌日には、駅までの道に、雪だるまが4体も作ってあった。小学生の皆さんの作品だろう。特に、力作は神社の境内の大きい雪だるま。ご丁寧に、にっこり笑った顔まで彫り込んである。
そういえば、いつからか私には雪が憎らしくなっている。
歩きにくかったり、交通がみだれたりするという理由だ。雪の日には、電車の遅れを見こして早めに行動するのが、社会人の掟である。
雪が綺麗だとか、雪だるまを作ってあそぼうなどという発想がスッパリなくなってしまった。
なんて余裕がないのだろう。
元来、日本人にとっては、雪は趣き深いのだ。
「雪」のことが書かれた、有名な『枕草子』の一説である。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白い灰がちになりてわろし。
雪のいと高う降りたるを、例ならず 御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして集まり候ふに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。
人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。
雪が解けかけて、ぐちゃくちゃになった道を歩きながら「香炉峰の雪」とは言えないが、雪が綺麗だということを忘れてしまったことを少し反省する。
三寒四温は、もともと冬の季節に使われることばだったが、春先に使われるようになったとか。なぜか、JALのホームページにそんな説明がある。JALには、古典に詳しい人がいるのだろう。
さて、私の住まいの近くには小学校があり、毎朝、小学生の皆さんとすれ違いながら、最寄りの駅に向かっている。雪の翌日には、駅までの道に、雪だるまが4体も作ってあった。小学生の皆さんの作品だろう。特に、力作は神社の境内の大きい雪だるま。ご丁寧に、にっこり笑った顔まで彫り込んである。
そういえば、いつからか私には雪が憎らしくなっている。
歩きにくかったり、交通がみだれたりするという理由だ。雪の日には、電車の遅れを見こして早めに行動するのが、社会人の掟である。
雪が綺麗だとか、雪だるまを作ってあそぼうなどという発想がスッパリなくなってしまった。
なんて余裕がないのだろう。
元来、日本人にとっては、雪は趣き深いのだ。
「雪」のことが書かれた、有名な『枕草子』の一説である。
冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、
火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も、白い灰がちになりてわろし。
雪のいと高う降りたるを、例ならず 御格子参りて、炭櫃に火おこして、物語などして集まり候ふに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。
人々も、「さることは知り、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この宮の人には、さべきなめり。」と言ふ。
雪が解けかけて、ぐちゃくちゃになった道を歩きながら「香炉峰の雪」とは言えないが、雪が綺麗だということを忘れてしまったことを少し反省する。
聖イシュトヴァーンの王冠

ウィーンからブダペストに日帰りしたときの話である。
ハンガリーの経済状況は最悪で、つい先だっても、フラッグキャリアのマレブ・ハンガリー航空が運航を停止した。
現地の人々の様子は、相変わらず。プラハの地下鉄は、ぴかぴかの新車両が走っているというのに、ブダペストは古式ゆかしい車両のまま。私は、古式ゆかしいものは好きなのだが、地元の人は気に食わないかもしれない。
今回は、去年ドナウの増水のため乗れなかった水陸両用バスにリベンジをするのが目的で、その目的は達成された。
日帰りなので、時間に制限はあるものの、ブダペストで少し時間があるので、温泉にでも行こうかと水着をバッグに入れてきていた。
だが、国会議事堂の見学ツアーの時間に間に合うことがわかり、そちらに行くことに。
ハンガリーの国会議事堂は、ツアー形式で見学できるのだが、時間が限られていることに加え、国事行為などがあると見学中止になるので、見学のタイミングが難しいのだ。
建物のまわりは、セキュリティが厳しく、なかなか近付けない。チケット売り場が分からず、議事堂に入ろうとしていた地元のグループの人にきいた。すると、彼は流暢な英語で説明してくれ、自分の列を離れてセキュリティの係員にハンガリー語で、私がチケットを買いたい旨、説明してくれた。
ハンガリーは、かつて大帝国だった。現在のルーマニアやクロアチアの地方も自国の領土だった時代もある。そのため、ハンガリーの人々には、大帝国の末裔だというプライドがあるのだ。
その象徴が聖イシュトヴァーンの王冠。
国会議事堂の奥に、ふたりの兵士に守られて置かれている。
私は、レプリカは見たことはあったが、本物を見るのははじめて。王冠のてっぺんの十字架が曲がっているのがユニークで、何か意味があるのだろうと思っていたら、なんのことはない、箱にしまうとき、キチンと入れないでフタを閉めてしまったからといわれているとか。粗忽なだけだった。
幾度となく、マレブ航空にはお世話になっていて、今回の運行停止は非常に残念だ。
マレブだけでなく、今はハンガリー自体が沈んでいる状態なのかもしれない。
ハンガリーには、聖イシュトヴァーンの王冠のように、曲がっても堂々たる風格でいてほしいと思っている。
わたしとプラハ

先月、オーストリアに行ったのだが、チェコにも久しぶりに足をのばした。プラハ空港のターミナルもキレイになり、先進国のようだ。
たぶん三年ぶりくらいだと思う。話にはきいていたが、物価が高くなった。
とりあえず軍資金をチェコ・コルナに替え、馴染みのAAA(アーアーアー)というタクシーに乗り、ホテルに向かったのだが、タクシー代が上がっていることで、まず気付いた。もちろん、遠回りもされていないし、ボラれていないことは分かっていた。たぶん、私がプラハに住んでいたころより、一割から二割くらい高くなっていただろうか。
現地の人の給料があがるよりも、物価の上昇のほうが早いと思う。高くなったとはいえ、日本人からすれば、まだ物価は安いのだが、地下鉄の切符が12コルナ(60円)だった数年前のことを思うと、地元の人はたいへんだと思う。
ちなみに今は、90分用の切符が32コルナする。
もちろん古い友人に会うのも楽しみだったのだが、久しぶりに一人でプラハを歩いてみたかった。
私がプラハにいた時期は、あの寒波がくる前で、暖かく、雪ではなくて雨が降ったくらいだった。
私は、冬のプラハが好きだ。
もちろん、キンキンに冷えて、顔にあたる冷気が痛いくらいになるのだが、観光客が少なくて、ゆっくり景色が楽しめる。
旧市街地区から、カレル橋をわたって、マラーストラナへ。土産物やが軒を連ねる道を少しそれると、地元の人がかようカフェがある。
観光客はこないところで、ましてや雨の夕暮れ。
あたかも映画の中にいるような錯覚を覚える。
こんな景色をあらためて見て、やはり私はプラハが好きなんだ、と確認した次第。
ウィーンのピアノ

新宿で「ピアノマニア」という映画がかかっているので、見てきた。
ウィーンのコンツェルトハウスを舞台に、ピアノの調律師を追ったドキュメンタリーだ。有名なピアニストも出演していて、その演奏も聴けるので、なかなかおトクな映画である。
芸術家であるピアニストは、ピアノの音にこだわり抜き、調律師はその職人技で難しい要求に答える。
つい二週間前にいたウィーンの景色、ウィーン風のドイツ語が懐かしい。
エマールがバッハの「フーガの技法」をコンツェルトハウスで録音したときは、たいへんだ。素人の耳では、絶対に判別できない些細な違いを調整してゆく。
ところで、私がウィーンにいることができたのは、ほんの数日だったので、残念ながらコンツェルトハウスには行くことができなかったが、楽友協会の黄金のホールでウィーン響とトーンキュンストラーを聴くことができた。
そのウィーン響のコンサートのときだったのだが・・・。
開演ギリギリに駆け込んできた中国人観光客。(けっして、台湾ではない。大陸である) クロークにコート類を預けることもせず、イスをガタガタとやり、席番を確認したかと思うと、記念撮影。もちろんフラッシュつきである。
コート類をコンサート会場に持ち込むことは、マナー違反であり、会場係員もクロークを案内するのだが、開演ギリギリということで、案内できなかったのだろうか。
私は、彼らに囲まれるような席になってしまった。
そして、演奏中。
私のすぐ後ろから、ピピッという電子音が聞こえた。時計のアラームを消し忘れたのかと、ふと振り返ると、件の中国人観光客がデジカメで、まさに撮影しようとしているところだった。ピピッというのは、ピントあわせの音だった。
その後は、カバンの中から携帯電話の呼び出し音が鳴ったりと、いろいろとやってくれた。
現在、オーストリアは、アジアからの観光客の誘致を日本から中国へ軸足をうつしている。
おそらく、これから、こういった聴衆がウィーンのホールに増えるのではないかと思う。
プロフェッショナルな演奏家や調律師がしのぎを削るウィーンは、いったい大丈夫なのだろうか。
緑茶とご老人

私がいたころは、今年は暖冬だというほど中欧は暖かかった。雪ではなく、雨が降ったくらいだった。
ところが。
私が帰国したとたん、この大寒波である。
チェコ南西部では氷点下38・1度を記録したというから、たいへんだ。だいたいこのあたりの人は、氷点下20度あたりまで覚悟はできているのだが、それより寒いのだから。
ハンガリー、ブダペスト名物ドナウ川クルーズも、氷結の程度により運休になるかもしれないとのこと。
さて、ウィーンからそんなブダペストまで日帰りで行ってきた。ブダペスト東駅は昔から変わりない。(上の写真)
夕方、ウィーンゆきの列車に乗り込むとき、時刻表を見上げた。ウィーンゆきは定刻だが、案の定、プラハゆきは豪快に遅延している。大きな荷物を持って、そのあたりに座りこんでいる人を尻目に私はレイルジェット(オーストリアの新幹線)に乗りこんだ。
ウィーン西駅は、やっと改装工事が終わり、一大ショッピング・センター併設の立派なものに生まれ変わった。
定刻に着いた列車を降り、さっそく探検をかねて買い物をした。
地下にスーパー・マーケットがあり、私はカモミール・ティーを買おうと、お茶売り場を探した。
そこでは、ピシッと洒落たコートを着こなしたご老人が、緑茶の袋をふたつもって悩んでいた。
彼は、私を見かけると、さっそく話しかけてきた。
アジア人なので、緑茶には詳しいと思ったのだろう。外国人だから、ことばはどうしようとの考えはみじんもなく、遠慮なくドイツ語である。
「どっちの緑茶がよいだろうか?」
どっちでも同じだよ、とは思ったが、一応比べるふりをし、パッケージが洒落ているほうを「こっちのほうが、いいと思います」
さらに、緑茶の入れ方についてのアドバイスを求められたので、ひととおりレクチャーをしていたら、スーパーの係の人が「そろそろレジを閉めますよー!」
私は、カモミール・ティーのパックを素早く探し、レジに向かったのだった。
ザルツブルクも雪降り

金曜の朝は、東京は久々の雪。こんなときにかぎって、大荷物で出かける私である。
行き先は、ザルツブルク。
ザルツブルクも雪が降ったようで、だいぶ溶けかかっていた。
そして、翌日は午後が雪。
私にとっては、毎日雪降りである。
この冬は、ザルツブルク付近は、なかなか雪が降らなくて、スキー場がなかなかオープンできず、困っていた。
ようやく降るようになって、めでたし、めでたしの雪なのである。
東京も、ずっとカラカラ天気で、恵みの雪というか、恵みの水分である。
大荷物を持って移動する私には、ちょっと困るのだが、降るときには降ってもらわないと。
冬のヨーロッパは天気がいいときのほうが、寒いことが多い。
なので、以外とすごしやすかったりする。
雪は歩きにくいのが難だが、そんなに悪いものではないと思う。
ドレスデンの時計
私は物持ちがいいほうで、ひとつのものを長く使う。
愛用していた腕時計のリューズがあまくなり、もうそろそろ寿命かなと思って、時計の裏ぶたをみてみたら、2002と書いてあった。10年使ったのだ。
私の時計は、ドイツのドレスデンで買ったもの。
第二次世界大戦のとき、ドレスデンは徹底的に破壊され、そのシンボルたる聖母教会もがれきの山と化した。
冷戦後、ようやく修復が開始された。
その資金は、ほとんどが寄付によるもの。資金を集めるため、寄付金付きの宝くじが売られたり、さまざまな「寄付金付きの聖母教会グッズ」も売られた。
私の時計は、そのグッズである。
文字盤には、再建中の聖母教会の姿が描かれ、小さな石が埋め込まれている。その小さな石は、聖母教会の「かけら」。
破壊された教会のがれきのうち、使えそうな石材は、また再建するときに利用したのだが、ぼろぼろでどうしようもないものは、こうやって腕時計などに埋め込んでグッズとして、寄付金をつけて売ったのだ。
ドレスデンのマリア様と一緒にいられないのは残念だが、もう正確な時間が示せなくなった時計をしているわけにはいかない。
とうとう今日、新しい時計を買った。今度は、日本製である。また長持ちしそうな予感がする。
愛用していた腕時計のリューズがあまくなり、もうそろそろ寿命かなと思って、時計の裏ぶたをみてみたら、2002と書いてあった。10年使ったのだ。
私の時計は、ドイツのドレスデンで買ったもの。
第二次世界大戦のとき、ドレスデンは徹底的に破壊され、そのシンボルたる聖母教会もがれきの山と化した。
冷戦後、ようやく修復が開始された。
その資金は、ほとんどが寄付によるもの。資金を集めるため、寄付金付きの宝くじが売られたり、さまざまな「寄付金付きの聖母教会グッズ」も売られた。
私の時計は、そのグッズである。
文字盤には、再建中の聖母教会の姿が描かれ、小さな石が埋め込まれている。その小さな石は、聖母教会の「かけら」。
破壊された教会のがれきのうち、使えそうな石材は、また再建するときに利用したのだが、ぼろぼろでどうしようもないものは、こうやって腕時計などに埋め込んでグッズとして、寄付金をつけて売ったのだ。
ドレスデンのマリア様と一緒にいられないのは残念だが、もう正確な時間が示せなくなった時計をしているわけにはいかない。
とうとう今日、新しい時計を買った。今度は、日本製である。また長持ちしそうな予感がする。
もももすももももものうち その2
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いたします。
さて、今年はLCC(ローコスト・キャリア)元年だそうで、経済再生の期待 を担っているのだとか。
代表的な新しいLCCは、全日空系「ピーチ・アビエーション」。最初、この社名をきいたときには、のけぞったが、だんだん慣れてきた。
いよいよ、ピーチも格安航空券を販売。関空・新千歳間、片道250円という、空港へ行く電車賃より安いキャンペーン料金がでて、びっくり。もちろん、広告を考えてのことで、本来は赤字だろうが、すごい運賃だ。
ピーチは、フェイスブックにもページをもっていて、私も「いいね!」を押しているクチである。
このキャンペーン料金が発売されたときの、フェイスブックは面白かった。
どうやら、サーバーに問題があり、たいへんな状況だったもよう。
キャンペーン料金のチケットをゲットしようとした人が、いろいろ書き込みをしている。匿名の中傷ではなく、実名のコメントなので、まっとうなクレームと思っていいだろう。クレームをつける人がいるなかで、「安いのだから」という人もいる。
そして、そんな騒ぎがある中、今度は機材トラブルのニュース。
LCC元年は、大騒ぎのスタートだ。
とりあえず、安全運航をしてほしいと思う。
私は、今のところ、乗る予定はありませんが。
本年もよろしくお願いたします。
さて、今年はLCC(ローコスト・キャリア)元年だそうで、経済再生の期待 を担っているのだとか。
代表的な新しいLCCは、全日空系「ピーチ・アビエーション」。最初、この社名をきいたときには、のけぞったが、だんだん慣れてきた。
いよいよ、ピーチも格安航空券を販売。関空・新千歳間、片道250円という、空港へ行く電車賃より安いキャンペーン料金がでて、びっくり。もちろん、広告を考えてのことで、本来は赤字だろうが、すごい運賃だ。
ピーチは、フェイスブックにもページをもっていて、私も「いいね!」を押しているクチである。
このキャンペーン料金が発売されたときの、フェイスブックは面白かった。
どうやら、サーバーに問題があり、たいへんな状況だったもよう。
キャンペーン料金のチケットをゲットしようとした人が、いろいろ書き込みをしている。匿名の中傷ではなく、実名のコメントなので、まっとうなクレームと思っていいだろう。クレームをつける人がいるなかで、「安いのだから」という人もいる。
そして、そんな騒ぎがある中、今度は機材トラブルのニュース。
LCC元年は、大騒ぎのスタートだ。
とりあえず、安全運航をしてほしいと思う。
私は、今のところ、乗る予定はありませんが。
さようなら、ハベルさん


上の写真は、プラハのバーツラフ広場。チェコのハベル元大統領に捧げられた灯火。プラハ在住の私の仲間のブログから、写真拝借。
ちょうど今頃、プラハのビート教会で、チェコの元大統領、バーツラフ・ハベル氏の葬儀が行われている。
今年は、世界中で独裁者といわれた人も含め、たくさんの政治家が亡くなった年で、ハベルさんも、クリスマス前に亡くなった。もっとも、ハベルさんは、独裁者とは対極にいた人だ。
私がチェコで暮らしていた時期は、ちょうどチェコの大統領がハベルさんからクラウスさんに替わるころ。私は、ハベルさんが現職の大統領だったときに、プラハにいることができ、本当に幸せだったと思う。
ハベルさんの最後の花道といえる仕事が、2002年のNATOのサミットのホスト役だった。ちょうど、イラクがキナ臭くなってきた頃。このサミットで、イラクの空爆にGOサインがでるのでは、といわれていたので、ピリピリとした緊張がプラハ中に充満した。
その二年前のIMFのサミットがプラハで行われたとき、デモ隊と警察の衝突がすさまじかったので、緊張も仕方がないことだった。
(動画は、もうひとつ)
プラハは石畳が美しい街だが、皆、敷き石をひっぺがして、石つぶてとして投げるので、翌日は、石畳が単なる「土」になっていたとか。
そんなわけで、NATOのサミットの前は、各旅行会社も警戒して、ツアーを逆回りコースに仕立てなおしたりと、その日にプラハにいないようにして顧客の安全に務めた。
パック・ツアーならば、旅行会社の判断で、変更をするのだが、社員旅行などのオーダーメイド型のツアーの場合は、その幹事さんの意見が優先される。もちろん、旅行会社は十分に説明をしたのだが、オーダーメイド型のツアーがひとつ、NATOのサミットの日にプラハに来てしまった。その現地ガイドは、私であった。
ツアーバスは、見晴らしのよい高架の道で、星条旗を掲げた黒塗りの車とすれ違った。
ブッシュ大統領である。
私は、緊張した。どこからか、狙撃されてもおかしくないシチュエーションだったからである。
だが、バスの中のお客様は、「きゃー、ブッシュさーん」
このときのNATOのサミットは、ハベルさんの最後の仕事に泥を塗らないようにと、デモ隊も殺し屋も自重したらしい。幸いなことに、大事にいたるようなことはなかった。
ところで、「きゃー、ブッシュさーん」のお客様は、某職業の集まり。どんな職業かというと、がっかりする人も多いと思うので、いわないことにしておく。
ハベルさん、さようなら。
私は、あなたが大統領だったときに、プラハで暮らすことができて、本当に幸せだったと思います。
ゆっくりお休みください。
(ハベルさんは作家でもある。天皇陛下は、ハベルさんの著作をお読みになってから、ハベルさんにお会いになったというエピソードもある)







