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銀座の雨漏り物件はカプセル

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新橋・銀座付近の首都高からチラリと見えるアバンギャルドな建物。
この丸窓がついた立方体がくっついているという不思議な建物は、中銀(なかぎん)カプセルタワービル。
日本よりも外国でよく知られているそうで、ヘンテコな形をしている。
ここは、分譲マンションならぬ分譲カプセル。カブセルひとつひとつにオーナーがいるわけで、それぞれ内部は独自に改装しているらしい。ここは、ホテルでも公共のものでもないので、基本的に見学は不可。だが、ツアーをやっている方がいる情報をGETして、内部を見せてもらうことができた。

古い資料だと、民泊をしているオーナーもいたようだが、現在は苦情がきたためやっていないとのこと。泊まったとしても、お湯はでないのでお風呂が困るし、雨漏りもするそうだ。
1972年に竣工されてから、まだ全体の改修工事がなされていないとのことで、当時はモダンだったセントラルヒーティングもとっくにぶっ壊れている。

ただし、デザインはかっこいい。黒川紀章の設計で、カプセルは茶室をイメージしたそう。茶室というより、ドラム式の洗濯機という感じだが。内部は本当に狭いが、心地よい狭さという感じ。
案外、私はここで暮らせるかもしれない。ただ、たいへんだろうなぁ、いろいろ。
分譲ということで、多数のオーナーのOKがないと改装もできないし、建て替えもできない。
建て替えとなったら、今のアバンギャルドな建物はなくなってしまう。
芸術を後世に残すというのもたいへんだ。

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性のはざまで

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つい最近、ウィーンに行ってきたのだが、滞在中たまたま「ライフバル」という催しがあった。HIV関係のチャリティのイベントだ。
この日は、会場となる市庁舎前を通る路面電車は午後4時で終了、がっつり交通規制がひかれた。また、昨今の事情によるのだろうが、警備の警察官の数も多いような気がした。

チケットはなかなか高価で、私はホテルのテレビでライフバルの中継を観た。日本でも、すっかり有名になったコンチータ・ヴルストが司会をしていた。この人は、ウィーン市観光局の案内ビデオにもでていて、後姿のなんとエレガントなこと。LGBTの星のような人だ。

客席にいたスイスからやってきた男性カップルが、司会者によって舞台にあげられ、キスをしたかと思うと婚約指輪のプレゼント。会場は、拍手と歓声。

オーストリアは、カトリックが多いとはいえLGBTに寛容というか、常にそのあたりにいるので特別の存在ではない。他人のことなので、どうでもいいし、そもそも昔から外国人が入ってきているのだし、いろいろな人がいるのは当然でしょうというスタンスだ。

ところで、ウィーンの歩行者用の信号機が可愛らしくなっている。ベルリンのアンペルマンを意識したのかは知らないが。
男女が仲よく歩道を渡る絵柄のものもあるのだが、よく見ると他にも種類がある。
男性カップルの信号機もあり、なぜカップルかとわかるのかというと、ふたりの間にハートマークがついているのだ。そして、男性ばかりではいけないだろうとのことで、女性カップルのバージョンもある。
私としては、どうでもいいのだが、ウィーンに行ったら信号機をよく見てみると面白いと思う。
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男性カップルのバージョン

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女性カップルのバージョン




サラエヴォのホテル

『サラエヴォの銃声』という映画を観た。
サラエヴォの“ホテル・ヨーロッパ”を舞台にして、サラエヴォの歴史と現在の問題を浮き彫りするという映画だ。
サラエヴォのバシチャルシァ地区にホテル・ヨーロッパは実在するが、映画にでてきたホテルはフィクションだろう。ホテル・ヨーロッパは紛争時に爆撃を受けて、ようやくリノベーションしたばかりだ。映画ではリネン室で働く女性が30年働いていると言っているが、その間ホテルは営業していなかったはず。

ホテルの屋上では、女性ジャーナリストがサラエヴォ事件や紛争についてインタビューをしている。
サラエヴォ事件とは、1914年オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナントがその妻と共に暗殺され、それが第一次世界大戦の引き金となった案件だ。ボスニアでは暗殺者ガヴリロ・プリンツィプが英雄とされていた。
それに、ユーゴ紛争。サラエヴォは戦場となり、多くの犠牲者をだした。
ボスニア・ヘルツェゴビナに住む人々のアイデンティティにつっこむインタビューだ。
そのシーンを見ていて、今は紛争はおさまり平和に見えるが人々の奥底には各民族に対する恨みが根深いことを感じた。

以前私はクロアチア語をクロアチア女性に習っていた。クロアチア語とチェコ語は共通するところも多く、クロアチア語でわからないところは適当にチェコ語で言うと、なんとなく通じるので便利だった。
あるとき、私は「パン」のことを「フレバ」と発音した。チェコ語では、パンのことをそういうので、思わずそう言ったのだが、先生はさっと顔色を変えて「どこで、習ったの!」
なんとセルビア語でも、パンのことはフレバというのだとか。私はチェコ語で言ったのだが、偶然セルビア語でもあったわけだ。クロアチア語ではクルフというので発音は異なる。
普段は朗らかな先生がそんなことをいうなんてびっくりしたが、心の奥底では日本人に理解できない思いがあるのだろう。

この映画を観て、そんなことを思い出した。
私の過去のサラエヴォの記事は、ここここにあります。




安くていいものは?

2017年3月27日に破産手続きを開始した「てるみくらぶ」。
ニュースをきいて初めてその名前を知ったという人も多いだろう。格安ツアー愛好者には、とても有名な会社だ。
金曜に航空券が発券できないという一報をきいて、私の正直な感想は「あの会社なら仕方がない」。

仕方がないにせよ、被害にあった方は日本旅行業協会(JATA)にコンタクトしてほしい。
JATAでは専用のページをつくっている。 ここに、旅行パンフレット、旅行申込書、請求書、メールの記録等の関係書類は保管しておいてください、とも書かれているとおり、あらゆる証拠はとっておいてほしい。

よく言われるのが、そんなにヤバイ会社ならば先に教えてくれたら、というもの。
不可能。
同業者ならばヤバイ会社はわかっているものの、実名をだしたら訴訟モノである。
だが、落ち着いて考えてほしい。
スーパーで食品を買う時、産地を確かめたり、メーカーを確かめたりしませんか? そして、あまりにも安いと疑いませんか?
旅行商品もそれと同じ。
安くていいものなんて、存在しない。

ホテルや航空券は仕入れ値がある。もちろんホテルや航空会社が自社の損になるような値段で卸すわけがない。そこで、何が削られてあの価格になっているか、ちょっと考えてほしい。
いいものは、それなりの値段。安心安全は金で買うものだ。

てるみくらぶ以外にも、ヤバイ旅行会社はある。
それは、安くていいものなんて存在しないと思ってみると自然に区別できると思う。
また、旅行屋は職人的なところがあって、担当者によって当たりはずれがある。大手の旅行会社でも、はずれが結構いるので要注意。
逆に当たりがいたら、ラッキーだ。当たりを探すには、いろいろ質問してみること。要望にあった商品が売り切れの場合でも代替のものを提案してくれるか、ネガティブなことも説明してくれるか、そんなところをチェックしてほしい。


キューバの日系人

『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』を読み終えた。
去年7月に亡くなったキューバ最後の日本人移民1世、島津三一郎さんを中心としたキューバの日系人を追ったドキュメンタリーだ。

恥ずかしながら、私はキューバの移民について全く知らなかった。
アメリカやメキシコ、ブラジルの日系移民は有名で、特に私が育った愛知は、ブラジル移民2世がたくさんいて身近だった。だが、キューバについては無知だった。

第二次世界大戦中、アメリカで日系移民が収容所に送られたが、キューバでもそうだったという。
『108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎』の筆者は、島津さんにそのころの話をしてもらおうとするが拒否される。そこで、他の日系移民の2世から話をきく。2世は、当時は子どもで、父親が両脇を兵士に抱えられて収容所に送られる後ろ姿を見たという。

島津さんたち日系1世がキューバに渡ってきたのは、貧しくキューバで一旗揚げるためだった。だが、うまくはいかない。痩せ細った体で収容所から出て、平穏な時代があったものの、次はキューバ革命。
逞しいというよりも、生きなくてはいけなかった。

そして、私が驚いたのは日系2世の中にキューバ革命の戦士がいたこと。
明らかに顔つきがキューバ人と異なる彼に、チェ・ゲバラも気づいて話かけたとか。

昨年年末、ハバナで現地ツアーにのったとき、ガイド氏がプラネタリウムやJICAの援助で修復された建物の説明をし、「キューバと日本は、昔から縁があるのです」と言った。ツアーには、アメリカ人やスウェーデン人の参加者もいたので、キューバと日本の関係の話はそれでおしまいだったのだが、ガイド氏は日系移民のことを言っていたのかもしれない。


108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎

108年の幸せな孤独 キューバ最後の日本人移民、島津三一郎

  • 作者: 中野 健太
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/01/25
  • メディア: 単行本



スラヴ叙事詩を東京で

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ずいぶん前から、来る来ると言っていてなかなか来なかった「スラヴ叙事詩」だが、ようやくやってきた。
10年ほど前に見て大感激し、もう一度見たいとずっと思っていた。

国立新美術館の「ミュシャ展」は、やはり混雑していた。
だが、作品が巨大なので人の頭で見えないということはない。
ひどい展示方法だったらどうしようと思ったが、きちんと展示してくれている。ふだんプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿に展示されているが、一昨年「スラヴ叙事詩」の展示室の壁が崩れて、一時閉鎖された。幸いにも、作品にキズはつかなかったのだが、不届き千万である。

私は、以前モラフスキー・クルムロフ城で「スラヴ叙事詩」を見た。プラハに移される前は、モラビアのこのボロボロの城にあったのだ。交通の便が悪い田舎にあるためか、「スラヴ叙事詩」の展示室は私ひとりで貸切状態。今思うと、なんて贅沢な時間だったのだろうと思う。
ミュシャの生家があるイヴァンチッツェという村も近くあって、ここに小さなミュシャのミュージアムがある。この村は「スラヴ叙事詩」にも描かれている。

ミュシャはカラフルなポスターで有名だが、本当に描きたかったものは「スラヴ叙事詩」のような作品だったらしい。虐げられた民族、スラブ民族の誇りを歌い上げる作品だ。
「スラヴ叙事詩」は、プラハからピルゼン方面へ向かう途中にあるズビロフ城で描かれた。
城のテラスから見える風景が、「スラヴ叙事詩」に描かれているという。
今回、あらためて「スラヴ叙事詩」を見て、建物内部を描いたものは別とし、ズビロフの風景だということを確信した。
ズビロフ城には、珍しいミュシャのフレスコ画が残っていて、それもフリーメーソンの一員としての自画像。

「スラヴ叙事詩」は、チェコをはじめ、スラブ圏の歴史を知らないとよくわからないかもしれない。
だが、絵の迫力は伝わるので、これをきっかけにスラブ圏のファンが増えてくれるといいと思う。


ベルリンの壁とキューバ

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私がキューバで感じたのは、旧東欧に似ている、ということ。
ベルリンの壁が崩れて今年で26年だが、あのときの影の立役者はヨハネ・パウロ二世だった。
ポーランド出身の法王の尽力なしには、ベルリンの壁は崩れなかった。

そして、キューバ。アメリカとキューバの橋渡しをしたのは、法王フランシスコ。
法王フランシスコはアルゼンチン出身。チェ・ゲバラもアルゼンチン生まれだ。
私は、ヨハネ・パウロ二世とフランシスコの働きに敬意を表する。
東欧とキューバ、変化のきっかけには共にローマ法王が関係している。

また、車。
キューバは、いわずとしれたアメリカのクラシックカーが有名な国。
観光用にピカピカにしてある車ももちろんあるが、それよりもボロボロで、なんとかメンテナンスして走らせている、燃費も凄ぶる悪い、そんな感じだ。

かつて東欧では、東ドイツのトラバントがよく走っていた。これがまたスピードがでないので、追い越しがかけられないところで前につかれるとやっかいだった。私は、よくメルセデスベンツのバスに乗っていて、トラバントをみると溜息がでたものだ。
ところが今は、トラバントは観光用に残っているくらいだ。ドイツ車や日本車が旧東欧の高速道路をさっそうと走っている。

そのうちキューバも旧東欧のように、クラシックのアメ車は観光用に、普段の車はドイツ車か日本車になるのでは。
今は、同じ社会主義国ということで、キューバでは中国車、ロシア車が走っているが、国民の所得があがると変わってゆくと思う。

また数年後、キューバを再訪してみたい。

苺のアイスクリーム

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キューバの映画といえば、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がダントツに有名だと思う。
他にも「夜になるまえに」という名作がある。キューバ出身の作家、レイナルド・アレナスの自伝によるものだ。彼はゲイであったため、フィデル・カストロ政権下で迫害を受けてアメリカに亡命している。
また、同じようなテーマで「苺とチョコレート」という作品もある。私は、こちらのほうが好きだ。
主人公にからむゲイの男性が、いい味をだしていてオシャレな雰囲気なのだ。
その「苺とチョコレート」に出てきたアイスクリーム・ショップが、なんとも素敵で行ってみたいと思っていた。

店の名前はコッペリア。バレエにも同名の作品があり、名前からして洒落ている。
地元の人に尋ねつつ辿りついたコッペリアは、遊技場も兼ねているようでなかなか立派な造り。敷地内に入ると、ガードマンに「あなたはあちら」と言われ、アイスクリーム・スタンドのほうへ誘導された。
こちらはフードコートにあるようなプラスチックのテーブル&椅子。残念ながら、映画にでてきたテラス席には外国人は入ることができず、遠くから眺めるだけ。おそらくは、外国人は兌換ペソ、キューバ人は人民ペソと使用通貨が異なり、さらにアイスクリーム代が違うからだと思う。
だが、もしテラス席が外国人用だったら、キューバの人々はきっと怒る。だから、今はこれでいい。でも、次に行くときは地元の人と一緒にテラス席に座りたい。

私は、アイスクリーム・スタンドで苺のアイスクリームを注文し、プラスチックのテーブルで戴いた。

キューバの五寸釘

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駆け足で、この年末にキューバ、ハバナに行ってきた。
去年アメリカとの国交を再開し、これからキューバは急激に変わるだろうとのことで、おっとり刀で駆け付けた格好だ。
ここのところ、すごい勢いで観光客が増えており、ホテルの確保が難しく、私もようやく空室を見つけた。需要と供給の関係で、ホテル代は高い。まったくこんなところだけ資本主義。キューバは、まごうことなく社会主義国家だというのに。

私はチェコに住んでいたし、添乗員をしていた頃、旧共産圏によく行った。だから、ハバナ空港に到着したとき、なんとなく郷愁を感じてしまった。社会主義国家では、とにかく並ぶ。なんでも並ぶ。空港に着いた途端、荷物のピックアップに1時間かかったのを皮切りに、両替、タクシーと長蛇の行列に並んだ私。こういう時は、おとなしく並ぶ。仕方がない。それが掟。あらかじめホテルには、利用便を連絡してあったので、すぐに部屋に入ることができるように支度してくれていたのでよかった。それでも、ベッドに入ったのは、真夜中の2時を過ぎていた。予定通りだったら、日付が変わる前に床に就いていたのだが。

翌朝、有名な革命広場に行ってみた。壁に巨大なチェ・ゲバラの顔が描かれている建物に面した広場だ。社会主義国家の特徴として、とにかく広い広場がある。これは、労働者諸君が集会をするためだ。だだっ広い革命広場の端では、観光用にショッキングピンクに塗られたクラシックなアメ車の運転手が客引きをしている。
ベルリンの壁が崩れ、旧東欧は急激に変わったが、それと同じ匂いがする。

そして、マレコン通り。
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の最初のシーンにでてくる海沿いの道路だ。波が高い日は、堤防を波が越え、海水が道を洗う。私も、波が堤防を越えるのを見た。なかなかの迫力。
このマレコン通りにアメリカ大使館があり、星条旗がはためいている。キューバとアメリカ、今や両国には国交があるので、当たり前だ。
ところで、その前に無数の旗ポールが乱立している。聞くところによると、カストロがアメリカ憎しとここに大量の黒旗を掲げたという。まさに「呪いの五寸釘」である。 まったく気味が悪い。恐らくは、この五寸釘もそのうち撤去されると思う。

フィデル・カストロもチェ・ゲバラも、英雄扱いするのはいいが、すでに鬼籍に入り過去の人だ。
そして、ベルリンの壁が崩れた26年前から、マルクス、エンゲルスはすでに古典となっている。
またひとつ、世界から社会主義国家が消えようとしている。

↓ 売り切れでプレミアつきの古本しかありませんが、今現在、一番詳しいキューバの旅本


旅行人160号特集キューバ・革命の島を徹底ガイド!

旅行人160号特集キューバ・革命の島を徹底ガイド!

  • 作者: 松尾 よしたか
  • 出版社/メーカー: 旅行人
  • 発売日: 2009/06/01
  • メディア: 雑誌



悲しみのクリスマスマーケット

12月19日は、大変なことが立て続けに起こった。

駐トルコロシア大使が射殺される
それを受けたのか、
テルアビブ発イスタンブール行きのイスラエル機が緊急事態を宣言して引き返す
チューリッヒのイスラムセンターで発砲
プリュッセル対テロ部隊が交戦

その中でも、私がよく知っている場所だということで、ベルリンのクリスマスマーケットを狙ったテロはショッキングだった。
カイザーヴィルヘルム記念教会前のクリスマスマーケット。このあたりはベンツのマークがシンボルのオイローパセンター、クーダムというショッピング通りに近く、観光客も地元の方もたくさん訪れるところ。
テロ直後、ベルリン警察は、市民に外出を控えるよう呼びかけた。12/21現在、まだ犯人は捕まっていない。
ベルリン市民は、さぞ恐ろしい思いをしていることだろう。
外務省は「ドイツ:ベルリン・クリスマスマーケットへの車両突入事件に伴う注意喚起 」を出している。

テロは、ベルリンのクリスマスマーケットにトラックが突っ込む形でニースのそれとよく似ている。無差別で実に卑劣。ISが犯行声明をだしたようだが、まだヨーロッパのどこかで犯人は逃走中。(12/23追記 ミラノで犯人が射殺される)
ところで、テロに使われたトラックはポーランド国籍だったとのこと。日本では、ポーランド人運転手が乗っていたとしか報道されていないが、ポーランドの主要日刊紙ジェチポスポリタでは、詳細が報道されている。有志の方の訳文は以下に。この勇敢な運転手さんに哀悼の意を表します。
(追記、日本でも報道がでました)



ベルリンでのテロの実行にトラックを使われた37歳のポーランド人トラック運転手は犯人と戦い、トラックが停車してから撃たれたと19日に起きた悲惨な事件を時系列で再現したビルト紙は書いている。
クリスマスマーケットにいた人々に大型トラックが突っ込んだ事件では11人が犠牲となり、48人が負傷。この事件の実行犯はいまだに拘束されていない。
ポーランド人の運転手が〔犯行時〕運転していなかったのは疑いの余地がなく、犯行を妨害しようとし、鋭利な物で傷〔原文複数形〕を負わされた。その後、車が停車してから犯人は運転手を射殺して車から逃走したとビルト紙はニュースを掲載した。
同紙は、ポーランド人運転手は実行犯が何を計画しているのかを知り、おそらく何とか犯行を阻止しようと試みたと掲載。犯行に使用されたトラックを保有する運送会社の社長で被害者のいとこでもあるアリエル・ジュラフスキ氏はすでにその前の段階で、遺体に残された傷から襲撃犯と戦ったのだということがわかると語っていた。
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